はじめに
前回は、記事タイトルで2021年に「執念」という言葉を当てた所以を、年内に挙げたいくつかのアチーブメントに焦点を当てて綴っていったが、今回は時系列順に2021年のライド記録をざっくりとまとめていきたい。
前回の記事の冒頭、「インデックス的な当ブログの羅針盤にできたら良いな」なんてことを語っていたが、今回の記事の方がそれを語るに相応しいかも。
いずれ各項目の下には個別記事のリンクを掲載する予定なので、長期的に楽しんでもらえたら!
それでは、大学2年時の僕が辿った11,000kmの旅路を、一月ずつご紹介!
- はじめに
- 1月 秋田帰省
- 1月 自転車部創設
- 2月 ソロ静岡&山梨遠征
- 3月 四国4県+広島入門
- 4月 尾張地方一周
- 5月 紀伊半島一周
- 6月 朝練中に落車
- 7月 ママチャリ生活
- 8月 2021夏秋田帰省旅(東京→秋田)
- 8月 下北半島ツーリング
- 9月 越美山地攻略
- 10月 教育実習が逆に作用
- 11月 EVERETING ROAM
- 12月 ラストライド浜松
- 12月 2021冬18きっぷ秋田帰省旅
- おわりに
1月 秋田帰省
丁度このあたりまでは旧アメブロの方でも記事にしていた。
ここからは上の記事の続き。
大学生活で初の冬季帰省。
以後、冬季の恒例行事となる18きっぷ帰省旅(上の記事で少し触れてます)で秋田に到着したのちは、待ち詫びた友人との再会や、久しぶりに口にする故郷の味で心を潤した。
面白い写真を撮っていたので、載せておく。(笑)
3年秋(2022年)の教育実習においては、小・中合わせて2カ月間、社会科教員のいっぱしとして教鞭を執ったが、そこでも貴重な地理の授業資料として提示した写真。
日常、とまでは言わないが、秋田にいる時はこうして天気予報の画面が雪だるまで一杯になることなんて、そこまで珍しくはなかったと思う。
岐阜に来てから免疫が低下していたのか、つい笑みがこぼれて、気が付いたらTVにカメラを向けていた。視覚的に北国の冬の厳しさを捉えさせるには、これ以上ない最ッ高の授業資料だと思う。(笑)
こうして、2021年は大荒れの秋田で迎えたのだった。
1月 自転車部創設
岐阜に戻ってから少し時は流れ、1月29日。岐阜でも一面銀世界に染まっていた日だった。
靴を濡らしながら、徒歩で大学へ。授業は無いが、書類提出のために学務まで。
この日が、岐阜大学に「自転車部」が生まれた日だ。
自転車部に対する想いは、この記事で熱く語っていたはずなので割愛させて頂くとして、軽く創部までの経緯を。
2020年、期待を胸に大学に入学した僕だったが、その時には既に「サイクリング部」は廃部してしまっていた。アニメでよく見かける王道展開に、現実でも直面してしまったのだ。
そこで、幸いなことに志を共にする変態ども素晴らしき友人たちにも出会えていたので、一緒にゼロから部を作り直しちゃおう、という算段だった。
ジャージも自分たちで作ってみたり。
最初は黒をベースにデザインしていたが、僕が汗っかきだからという理由で白に変えたんだったっけ。急ピッチでジャージの作成を進めたため、理想通りとはならなかったが、作成過程も含めて非常に思い入れのあるジャージだった。
(個人的にはジンベエザメの腹みたいでちょっと可愛いなと思っていました)
部員みんなでこれを着て行ったライドのあの感動は、いつまでも忘れることのない大切な思い出。
やがてそのまま春季休業へ。
1年の時に出会って以降、楽しいことも嫌なことも含めて、決して短くはない時間を共有し切磋琢磨してきた3人には、首脳陣として部の運営を分担してもらうことに。写真は自転車部が出来てから初めて首脳陣で走りに行った時のものだったかな。
この頃の、部活の今後の展望について語り合う時間が、たまらなく好きだった。まだ真っっ白な未来を細目で見つめて、出てくる話は明るい話題しかなかった。
2月 ソロ静岡&山梨遠征
冬が明け、2021年度の初陣となったのは、ソロでの「静岡・山梨遠征」だった。
(1日目だけアメブロの方で記事にしていたので載せておきます↓)
①岐阜→浜松(220.8km 1,751m↑)
②浜松→沼津(180.2km 541m↑)
③沼津→山中湖(62.9km 1,250m↑)
④ホテル療養
⑤ホテル療養
⑥沼津散策
この日程からもお察し頂ける通り、3日目の富士山一周の途上で事故に遭ってしまったことがこの旅一番の注目トピック(笑)
単独落車ではなく、初の事故。まさかの旅先で起きてしまった。
大きな機材ダメージも、入院も免れたものの、沼津市内のホテルに連泊してじっと療養することを強いられた。
右肩を押さえ、右足を引きずりながら夜の仲見世商店街を歩いたことが懐かしい。ケンカに負けたヤンキーみたいで、周囲の視線がめちゃくちゃ恥ずかしかった。
食事の為にホテルを出るだけでも一苦労なのに、席に着いてからも、右肩が上がらないために箸を口まで運べず、本当に難儀したな...(笑)
富士山一周が未完遂に終わっただけでも心はズタズタだったので、流石に何も得ずして撤退する訳にもいかない。2日間の療養を挟んだのち、最終日にはしっかりと沼津観光を楽しんだ。(ほぼ片手運転状態なので大変よろしくない)
旅の最後に見た聖地・内浦の当時の光景は、僕の心象風景を見事にリフレクトしていて。
ヒリヒリしちゃって、つい視界を潤ませてしまっていた。
3月 四国4県+広島入門
事故の影響は想像以上に長引き、上がらない右肩を言い訳に、多くの時間を無駄にしてしまった。大学生の春休みが何故2か月も与えられているのか、その意味と真剣に向き合わなければならない。
自覚を得た時、体は既に夜の瀬戸内海を往く、ジャンボフェリーの船上にあった。
①高松→徳島(134.6km 1,037m↑)
②徳島→室戸岬(140.1km 1,236m↑)
③室戸岬→高知(91.3km 397m↑)
④高知→松山(129.5km 1,516m↑)
⑤松山→福山(142.8km 786m↑)
四国と言ったら、自転車や地理オタの人間にとっては、一度地図を拡げればそのまま一日を潰せてしまえるような、はたまた興奮のあまり10分として椅子に座っていることさえ難しいような、そんな楽園であろう。
そのような土地の地誌に浸るには5日という時間はあまりに短い。ゆえに今回は「入門」と銘打ち、気楽に観光メインの旅をすることにした。
ENDOとの旅は2020年9月の「山陰・北陸ツーリング(激動の2020年(2) | 1/3 BLUE -One Third Blue-)」以来であったが、その旅では今でも飲みの席で「あの時はまじでキツかった」と愚痴られるほどに疲弊させてしまっていた。そのため、一日の移動距離を150km以内に抑えて行程を組んだが、これがまた絶妙なゆるさで、最高の贅沢で...!
今後部活で合宿を行うときはこんな行程がベストなんだろうなぁ、と勉強になった旅でもあった。
4月 尾張地方一周
4/11 (304.9km 1,536m↑)
終わりを告げる、完全なる自由!春休みが終わり、大学の授業が再開してしまう...!
最後は華麗にラストスパート、もといラストスプリントを。
300kmを超えるルート設計で、何かテーマを持ったライドにしたいな、と考えた時、たまたま辿り着いたのが、岐阜を起点とした「尾張地方一周」だった。
愛知県内の市街部、道に面白味は求められないので、せめてキャノンボール達成ラインのグロス22km/h以上で走ったる。
胃痛との激しい戦い。勝敗やいかに...
5月 紀伊半島一周
GW。部活で合宿を行いたいところだったが、静岡・山梨遠征のリベンジも兼ねて、ソロで紀伊半島一周の旅へ。
①岐阜→尾鷲(???)
②尾鷲→串本(133.8km 1,692m↑)
③串本→和歌山(175.4km 1,745m↑)
④和歌山→山科(137.7km 679m↑)
海岸線の険しさ、複雑さで有名な紀伊半島。
起伏に富んだ道に呼応するように、僕のテンションもずっと右肩上がりで。
1日目の犠牲が実った、快晴の下のパシフィック・ブルー。
本州最南端の町で見上げた星空。
視界に映る景色すべてが僕の好みドストライクで。
そこに加わる、スピリチュアルさむらっっむらの独特の空気感。流石は世界遺産の地。
通過する町や集落も、長い間陸路が通じていなかった陸の孤島に、日本一短い川を有する町。国内で唯一イルカ・鯨の追い込み漁が続いているあそこも忘れちゃならない。
走行距離の割に濃密すぎる4日間。
胸を張って、良い旅が出来たと誇ることの出来る4日間だった。
6月 朝練中に落車
紀伊半島一周を終えてから、部活では新たに後輩が加わり、自転車に対するモチベーションがグンと向上。
日を増すごとにどんどんサイクリングを好きになっていってくれる後輩の様子や成長が、とにかく自分のことのように嬉しかった。心の底から嬉しかった。
部内では最ッ高のシナジーが生まれていたと思う。
大会参戦も控えていた関係でトレーニングは佳境に入り、その合間で暇があれば後輩を連れ出していた日々。
そんな矢先のことだった。
朝連中に単独落車。
STRAVAのセグメントKOM奪取を狙った平坦スプリントで、バランスを崩して転倒。
アスファルトの上を素肌丸出しで滑り行く。
この件については前回の記事でも触れていたため詳細は省くが、これを機に体の怪我のみならず、機材にも大きなダメージを被ってしまい、丸々1か月もの間、休養を余儀なくされたのだった。
7月 ママチャリ生活
自分から自転車を取ったら、何が残るのだろう。抜け殻のような日々を、本気で覚悟していた。
しかし、見失いかけていた自分も、あと一歩のところで繋ぎ留めることが出来た。
実はこの時、自転車部の他にも軽音サークルに所属し、バンド活動にも勤しんでいた。「THE ORAL CIGARETS」のコピバンだ。
ボーカルは自転車部で副部長も務めるOGINO。彼には落車後に車で病院や自宅まで送り届けてもらった上に、生活の脚としても依存していたFENIXが使えない間、彼のママチャリを代車として貸して貰うことに。
彼のおかげもあって、自転車という大きな生き甲斐に目隠しがされた後も、辛うじて腐らずに生きていくことができた。(この時演奏した「トナリアウ」という曲も、FENIXに対する想いを代弁してくれているようで、気持ちの行き場を作ることができた気がする(笑))
心から感謝!
8月 2021夏秋田帰省旅(東京→秋田)
7月下旬、注文していたRDやディレーラーハンガーが遂に揃い、FENIXの蘇生に成功。
身体は鈍りきっているものの、失った時間を埋めるべく「2021夏 秋田帰省旅」を敢行。今回の旅は、東日本太平洋側に線を引くことを目的に据え、東京を起点として走る。
①東京→水戸(161,3km 398m↑)
②水戸→郡山(180.0km 1,101m↑)
③郡山→仙台(95.5km 465m↑)
④仙台→秋田(???)
初日のある出来事をキッカケに、連日日付が変わるまで漕ぎ続けることに。
夜間走行に対する慢心を強めてしまった旅であった。
確かに夜間は狭い視界の影響が大きく、ストレスフリーで非常に効率的に走ることができる。消費カロリーも、日中に比べてずっと抑えられる気がする。
しかし、脳裏に焼き付く風景も、アルバムに残る写真も、折角の燃える季節だというのに、綺麗な「青」の占有割合は非常に小さいものとなってしまう。
この旅を色で表すとしたら、「灰色」といったところ。
そんな旅。
8月 下北半島ツーリング
①秋田→野辺地(226.8km 1,564m↑)
②野辺地→むつ(???)
③むつ→むつ(200.1km 2,294m↑)
④むつ→青森(125.6km 1,109m↑)
秋田に帰省した後は、ゆっくり羽を伸ばす暇も作らず、すぐさま次の旅へ。
東北に滞在する時間は、一秒たりとも無駄にはできない。
この機に、まだ未踏だった青森・下北半島へ行ってみた。
秋田を発ち、ENDOと共に中高時代の思い出の地を辿りながら北上。本州最北端・大間崎や、「寒立馬」で有名な尻屋崎をはじめとする絶景の数々に会いに行ってきた。
大地の果てで見た景色、抱いた想いとは...
東京発の秋田帰省旅が「灰色」の旅であったと形容したが、この「下北半島ツーリング」は「薄浅葱」か「淡朽葉」といったところだと思う。
しっかりエモい旅だ!(笑)
(近日中にリンクがこの下に追加されるはずなので、ご期待ください!)
...8月はまだ、終わらない。
「下北半島ツーリング」を終えて、ENDOはすぐに神戸へと帰ってしまったが、あそこへ行かなきゃ僕の夏にはサヨナラできない。
心の故郷、男鹿半島。
幼少期から数多くの思い出を重ねてきたこの場所は、秋田に帰省したら必ず訪れる場所だ。希死念慮、ほどの物ではないが、寒風山や入道崎で空や海を見ていると、「今ここで命が途絶えても良いや」なんて感情すら覚えてしまう。陳腐だけど、実際にその感情を毎回呼び起こす場所って、そう無いよね。男鹿への帰巣本能でも備わっているのでは、と思う毎日だ。
男鹿への愛をぶつける記事も、いずれ公開したい!
9月 越美山地攻略
越美山地攻略Ⅰ
①岐阜→福井(油坂峠・伊勢峠)(204.3km 1,220m↑)
②福井→岐阜(温見峠)(128.9km 1,492m↑)
越美山地攻略Ⅱ
①岐阜→福井(新道野越)(192.5km 997m↑)
②福井→岐阜(冠山峠)(???)
岐阜へと戻り、9月に入ると「越美山地攻略」と題し、近場の未踏エリア開拓に力を入れた。
夏休み返上で教育実習に赴く必要があったため、一泊2日の旅を2度に分けて実施。
岐阜・福井(+滋賀)県境に跨る油坂峠、伊勢峠、温見峠、栃ノ木峠といった名道へアタック。
この旅のハイライトといったら、何と言ってもコレ。
こちら、ちょっと地理関係の趣味を齧っている人なら誰もが知っているであろう、日本三大酷道「温見峠」のピーク(標高1,050m)での一枚。
違和感、感じ取れましたか...?写真左半分にご注目。
いや、一目見りゃわかるか。(笑)
因みに、この日はガッツリ雨天ライド!
これからダウンヒル。携帯は勿論、圏外。日没までは残り2時間。
さあ、事の顛末はどうなったことやら。
ネタには事欠きません👍
10月 教育実習が逆に作用
9月に引き続き、1週間の教育実習(2年次は短い)が課された10月。
それも逆に良いスパイスになっていたのだと思う。空いた時間を大切に、週末には必ずロングライドを実施する週単位のルーティンを確立することが出来た。
10月の主なライド
・自走ビワイチ(283.8km 768m↑)
・飛騨市到達(310.1km 2,519m↑)
前回の記事で触れた、「岐阜県内42市町村制覇」と「滋賀県内19市町制覇」のゴールテープを切ったのも、この月。
月間走行距離は最終的に、当時の最長記録1,650kmに届いた。
この時期になると、どのセグメントをアタックしてみても、TOP10入りが堅くなってきた。
ロングライドでもやたらとネットAv.に執着して、前述の自走ビワイチ(284km, 900m↑)もAv.31km/hでタイムアタックしてみたり。
手前味噌ではあるが、恐らくFTPテストをしていたら4.5w/kgくらい出せていたんじゃないかな。
しかし、自分でもこの調子をずっと維持できるとは思っていなかかったし、このまま冬を迎えては次にいつこの状態を取り戻せるか、不安の一心だった。
だからこそ、やるなら今しかないと決起。
11月 EVERETING ROAM
(464.2km 10,073m↑)
前回の記事でも触れた、EVERESTING ROAM。
岐阜県内初、日本人21人目の達成となった裏には、あまりにも多くの人の支えがあった。本当に笑っちゃうくらい。
どれだけの数の応援があったかというと、実際の走行時間(車輪が動いていた時間)が20時間で、休憩時間が15時間だったというデータが端的にその異様さを表せていると思う。
TwitterやSTRAVAの力もあり、初めましての方も含め、色んな人が僕に会いに来てくれるもんで、1本上る度に休憩、なんて時間もあったくらいだ。手ブラで挑戦しても全く問題なかったくらいの差し入れまで頂いた。
人生で一度あるか無いかのモテ期は、人生で一番他人を想う、優しい心を僕にくれた。
この時ばかりは、博愛主義者の聖人君子になれていたよ。
どんなお願いをされたって聞けたと思う。
人がまばらになってきた夜間に駆けつけてくれた部活の同期たちに対しては、この挑戦が終わったら、コイツらのために全身全霊をもって部活を盛り上げてやるぞ、と心の中で固く誓ったくらいだった。
今でも、あの時の恩義に報いることが出来ているのかと、常に自らの生き方を顧みるキッカケになっている、一世一代の挑戦。
必ず記事にします。
12月 ラストライド浜松
(175.2km 632m↑)
新調したばかりのサドルをいきなり投入しちゃったこともあり、僕のオケツはEVERESTING ROAMで見事に崩壊。
サドル接触部は内出血で腫れ上がり、タンコブのようなものが出来てしまった。(ぐろい)
オマケに、終盤ではペダリングがめちゃくちゃになってしまっていたことで、膝裏の靭帯やアキレス腱の炎症を引き起こし、ドクターストップを食らった。
このまま1年を終えても、目標の「年間走行距離10,000km突破」は既に達成していたため、後悔はなかったと思う。
それでも、目標云々の話ではなく、自分の「倒れるときは前のめりが良い」という持論に基づき、有終の美を飾るべく浜松へ。頭の後ろで手を組んで、終わりを受け入れるようなことはしたくない。(良いこと言った。)
しかし、季節は12月。濃尾平野のドン詰まり・岐阜市に住む僕にとって行ける場所は限られていた。北は論外で、西も関ヶ原を超えると雪景色。そうして選択肢を削っていくと、あることを思い出した。
そういえば、2021年の初陣は静岡・山梨遠征だったな。
静岡で始まり、静岡で終わる。
一年の終わりは静岡が良い!
そんなワケで、蒲郡・西浦温泉経由で浜松へと赴くのだった。
12月 2021冬18きっぷ秋田帰省旅
毎年恒例、冬季の18きっぷ帰省。浜松行きの翌日に実施。
終電で浜松から岐阜へと戻り、荷造りをして始発で出発。(きつかった)
②高崎→酒田(上越線~上越新幹線~上越線~信越本線~羽越線)
③酒田→秋田(リムジンタクシー)
毎年恒例とはいえ、この冬季18きっぷ帰省は大抵トラブルの連続である。
上に簡単に行程を示したが、鉄道ファンの皆さんにもお楽しみ頂けるような、非常に濃い、波乱に満ちた旅となった。新幹線やリムジンタクシーに乗車し、岐阜から秋田まで移動。交通費はあくまで18きっぷ3回分、計7,230円だけ。
これもいつか記事に出来たらいいな。
おわりに
こんな感じで、波乱万丈に富んだ2021年は過ぎていった。
本当にエネルギー消費の大きい一年だった。
またこの先の人生で、ここまでの執念と情熱に燃えることが可能なのかどうか、今はちょっと自信に欠く回答しかできない。
だからこそ、この貴重な思い出の数々を、詳細に記録しておきたいのです。
独りよがりな備忘録的側面が強くなるかもしれないが、そこはご容赦!(笑)
次回、2022年の総括をした後は、各トピックひとつひとつに焦点を当て、詳細に深堀りしていこうと思う。
トップバッターは、書き貯めてある「下北半島ツーリング」あたりで。
よかったら見てね。