1/3 BLUE - one third BLUE-

秋田から岐阜へ来た自転車に人生を捧ぐ大学生。 空のあお、海のあを。そして、もうひとつのBLUEを求めてー。

【2021年総括】執念の2021年(2)

はじめに

one-third-blue.hatenablog.com

前回は、記事タイトルで2021年に「執念」という言葉を当てた所以を、年内に挙げたいくつかのアチーブメントに焦点を当てて綴っていったが、今回は時系列順に2021年のライド記録をざっくりとまとめていきたい。

 

前回の記事の冒頭、「インデックス的な当ブログの羅針盤にできたら良いな」なんてことを語っていたが、今回の記事の方がそれを語るに相応しいかも。

 

いずれ各項目の下には個別記事のリンクを掲載する予定なので、長期的に楽しんでもらえたら!

 

それでは、大学2年時の僕が辿った11,000kmの旅路を、一月ずつご紹介!

 

 

1月 秋田帰省

 

丁度このあたりまでは旧アメブロの方でも記事にしていた。

 

ここからは上の記事の続き。

なまはげ

思い出の広小路

大学生活で初の冬季帰省。

以後、冬季の恒例行事となる18きっぷ帰省旅(上の記事で少し触れてます)で秋田に到着したのちは、待ち詫びた友人との再会や、久しぶりに口にする故郷の味で心を潤した。

晦日の天気予報

面白い写真を撮っていたので、載せておく。(笑)

3年秋(2022年)の教育実習においては、小・中合わせて2カ月間、社会科教員のいっぱしとして教鞭を執ったが、そこでも貴重な地理の授業資料として提示した写真。

 

日常、とまでは言わないが、秋田にいる時はこうして天気予報の画面が雪だるまで一杯になることなんて、そこまで珍しくはなかったと思う。

岐阜に来てから免疫が低下していたのか、つい笑みがこぼれて、気が付いたらTVにカメラを向けていた。視覚的に北国の冬の厳しさを捉えさせるには、これ以上ない最ッ高の授業資料だと思う。(笑)

 

こうして、2021年は大荒れの秋田で迎えたのだった。

 

 

 

1月 自転車部創設

書類手続きが大変だった。

岐阜に戻ってから少し時は流れ、1月29日。岐阜でも一面銀世界に染まっていた日だった。

靴を濡らしながら、徒歩で大学へ。授業は無いが、書類提出のために学務まで。

この日が、岐阜大学に「自転車部」が生まれた日だ。

 

自転車部に対する想いは、この記事で熱く語っていたはずなので割愛させて頂くとして、軽く創部までの経緯を。

2020年、期待を胸に大学に入学した僕だったが、その時には既に「サイクリング部」は廃部してしまっていた。アニメでよく見かける王道展開に、現実でも直面してしまったのだ。

そこで、幸いなことに志を共にする変態ども素晴らしき友人たちにも出会えていたので、一緒にゼロから部を作り直しちゃおう、という算段だった。

 

 

ジャージも自分たちで作ってみたり。

最初は黒をベースにデザインしていたが、僕が汗っかきだからという理由で白に変えたんだったっけ。急ピッチでジャージの作成を進めたため、理想通りとはならなかったが、作成過程も含めて非常に思い入れのあるジャージだった。

(個人的にはジンベエザメの腹みたいでちょっと可愛いなと思っていました)

部員みんなでこれを着て行ったライドのあの感動は、いつまでも忘れることのない大切な思い出。

 

部活ライドの帰り 大垣市・墨俣一夜城

木曽長良背割堤

やがてそのまま春季休業へ。

1年の時に出会って以降、楽しいことも嫌なことも含めて、決して短くはない時間を共有し切磋琢磨してきた3人には、首脳陣として部の運営を分担してもらうことに。写真は自転車部が出来てから初めて首脳陣で走りに行った時のものだったかな。

この頃の、部活の今後の展望について語り合う時間が、たまらなく好きだった。まだ真っっ白な未来を細目で見つめて、出てくる話は明るい話題しかなかった。

 

2月 ソロ静岡&山梨遠征

静岡県最南端・御前崎

沼津市立長井崎中学校前から望む富士山

冬が明け、2021年度の初陣となったのは、ソロでの「静岡・山梨遠征」だった。

 

(1日目だけアメブロの方で記事にしていたので載せておきます↓)

①岐阜→浜松(220.8km 1,751m↑)

②浜松→沼津(180.2km 541m↑)

③沼津→山中湖(62.9km 1,250m↑)

④ホテル療養

⑤ホテル療養

⑥沼津散策

 

この日程からもお察し頂ける通り、3日目の富士山一周の途上で事故に遭ってしまったことがこの旅一番の注目トピック(笑)

単独落車ではなく、初の事故。まさかの旅先で起きてしまった。

大きな機材ダメージも、入院も免れたものの、沼津市内のホテルに連泊してじっと療養することを強いられた。

右肩を押さえ、右足を引きずりながら夜の仲見世商店街を歩いたことが懐かしい。ケンカに負けたヤンキーみたいで、周囲の視線がめちゃくちゃ恥ずかしかった。

食事の為にホテルを出るだけでも一苦労なのに、席に着いてからも、右肩が上がらないために箸を口まで運べず、本当に難儀したな...(笑)

 

富士山一周が未完遂に終わっただけでも心はズタズタだったので、流石に何も得ずして撤退する訳にもいかない。2日間の療養を挟んだのち、最終日にはしっかりと沼津観光を楽しんだ。(ほぼ片手運転状態なので大変よろしくない)

旅の最後に見た聖地・内浦の当時の光景は、僕の心象風景を見事にリフレクトしていて。

ヒリヒリしちゃって、つい視界を潤ませてしまっていた。



3月 四国4県+広島入門

BE KOBE

事故の影響は想像以上に長引き、上がらない右肩を言い訳に、多くの時間を無駄にしてしまった。大学生の春休みが何故2か月も与えられているのか、その意味と真剣に向き合わなければならない。

自覚を得た時、体は既に夜の瀬戸内海を往く、ジャンボフェリーの船上にあった。

高松市中心部を望む

高知・室戸スカイラインにて

しまなみ海道「サイクリストの聖地 記念碑」

 

①高松→徳島(134.6km  1,037m↑)

②徳島→室戸岬(140.1km  1,236m↑)

室戸岬→高知(91.3km  397m↑)

④高知→松山(129.5km  1,516m↑)

⑤松山→福山(142.8km  786m↑)

 

四国と言ったら、自転車や地理オタの人間にとっては、一度地図を拡げればそのまま一日を潰せてしまえるような、はたまた興奮のあまり10分として椅子に座っていることさえ難しいような、そんな楽園であろう。

そのような土地の地誌に浸るには5日という時間はあまりに短い。ゆえに今回は「入門」と銘打ち、気楽に観光メインの旅をすることにした。

 

ENDOとの旅は2020年9月の「山陰・北陸ツーリング(激動の2020年(2) | 1/3 BLUE -One Third Blue-)」以来であったが、その旅では今でも飲みの席で「あの時はまじでキツかった」と愚痴られるほどに疲弊させてしまっていた。そのため、一日の移動距離を150km以内に抑えて行程を組んだが、これがまた絶妙なゆるさで、最高の贅沢で...!

今後部活で合宿を行うときはこんな行程がベストなんだろうなぁ、と勉強になった旅でもあった。

 

4月 尾張地方一周

知多半島・羽豆岬

4/11 (304.9km 1,536m↑)

終わりを告げる、完全なる自由!春休みが終わり、大学の授業が再開してしまう...!

最後は華麗にラストスパート、もといラストスプリントを。

300kmを超えるルート設計で、何かテーマを持ったライドにしたいな、と考えた時、たまたま辿り着いたのが、岐阜を起点とした「尾張地方一周」だった。

愛知県内の市街部、道に面白味は求められないので、せめてキャノンボール達成ラインのグロス22km/h以上で走ったる。

胃痛との激しい戦い。勝敗やいかに...

 

 

5月 紀伊半島一周

本州最南端・潮岬

和歌山城

GW。部活で合宿を行いたいところだったが、静岡・山梨遠征のリベンジも兼ねて、ソロで紀伊半島一周の旅へ。

 

①岐阜→尾鷲(???)

②尾鷲→串本(133.8km  1,692m↑)

③串本→和歌山(175.4km  1,745m↑)

④和歌山→山科(137.7km  679m↑)

 

海岸線の険しさ、複雑さで有名な紀伊半島

起伏に富んだ道に呼応するように、僕のテンションもずっと右肩上がりで。

和歌山・すさみ町

1日目の犠牲が実った、快晴の下のパシフィック・ブルー

本州最南端の町で見上げた星空。

 

視界に映る景色すべてが僕の好みドストライクで。

そこに加わる、スピリチュアルさむらっっむらの独特の空気感。流石は世界遺産の地。

 

通過する町や集落も、長い間陸路が通じていなかった陸の孤島に、日本一短い川を有する町。国内で唯一イルカ・鯨の追い込み漁が続いているあそこも忘れちゃならない。

 

走行距離の割に濃密すぎる4日間。

胸を張って、良い旅が出来たと誇ることの出来る4日間だった。

 

 

6月 朝練中に落車



紀伊半島一周を終えてから、部活では新たに後輩が加わり、自転車に対するモチベーションがグンと向上。

日を増すごとにどんどんサイクリングを好きになっていってくれる後輩の様子や成長が、とにかく自分のことのように嬉しかった。心の底から嬉しかった。

部内では最ッ高のシナジーが生まれていたと思う。

大会参戦も控えていた関係でトレーニングは佳境に入り、その合間で暇があれば後輩を連れ出していた日々。

 

そんな矢先のことだった。

ぐろい。


朝連中に単独落車。

STRAVAのセグメントKOM奪取を狙った平坦スプリントで、バランスを崩して転倒。

アスファルトの上を素肌丸出しで滑り行く。

この件については前回の記事でも触れていたため詳細は省くが、これを機に体の怪我のみならず、機材にも大きなダメージを被ってしまい、丸々1か月もの間、休養を余儀なくされたのだった。

 

7月 ママチャリ生活

ギターがおいら

自分から自転車を取ったら、何が残るのだろう。抜け殻のような日々を、本気で覚悟していた。

しかし、見失いかけていた自分も、あと一歩のところで繋ぎ留めることが出来た。

 

実はこの時、自転車部の他にも軽音サークルに所属し、バンド活動にも勤しんでいた。「THE ORAL CIGARETS」のコピバンだ。

ボーカルは自転車部で副部長も務めるOGINO。彼には落車後に車で病院や自宅まで送り届けてもらった上に、生活の脚としても依存していたFENIXが使えない間、彼のママチャリを代車として貸して貰うことに。

彼のおかげもあって、自転車という大きな生き甲斐に目隠しがされた後も、辛うじて腐らずに生きていくことができた。(この時演奏したトナリアウという曲も、FENIXに対する想いを代弁してくれているようで、気持ちの行き場を作ることができた気がする(笑))

心から感謝!

 

 

8月 2021夏秋田帰省旅(東京→秋田)

ガルパンはいいぞ

7月下旬、注文していたRDやディレーラーハンガーが遂に揃い、FENIXの蘇生に成功。

 

身体は鈍りきっているものの、失った時間を埋めるべく「2021夏 秋田帰省旅」を敢行。今回の旅は、東日本太平洋側に線を引くことを目的に据え、東京を起点として走る。

 

①東京→水戸(161,3km 398m↑)

②水戸→郡山(180.0km 1,101m↑)

③郡山→仙台(95.5km  465m↑)

④仙台→秋田(???)

 

初日のある出来事をキッカケに、連日日付が変わるまで漕ぎ続けることに。

夜間走行に対する慢心を強めてしまった旅であった。

確かに夜間は狭い視界の影響が大きく、ストレスフリーで非常に効率的に走ることができる。消費カロリーも、日中に比べてずっと抑えられる気がする。

しかし、脳裏に焼き付く風景も、アルバムに残る写真も、折角の燃える季節だというのに、綺麗な「青」の占有割合は非常に小さいものとなってしまう。

この旅を色で表すとしたら、「灰色」といったところ。

そんな旅。

 

 

8月 下北半島ツーリング

本州最北端・大間崎

尻屋崎

①秋田→野辺地(226.8km 1,564m↑)

②野辺地→むつ(???)

③むつ→むつ(200.1km 2,294m↑)

④むつ→青森(125.6km 1,109m↑)

 

秋田に帰省した後は、ゆっくり羽を伸ばす暇も作らず、すぐさま次の旅へ。

東北に滞在する時間は、一秒たりとも無駄にはできない。

この機に、まだ未踏だった青森・下北半島へ行ってみた。

秋田を発ち、ENDOと共に中高時代の思い出の地を辿りながら北上。本州最北端・大間崎や、「寒立馬」で有名な尻屋崎をはじめとする絶景の数々に会いに行ってきた。

大地の果てで見た景色、抱いた想いとは...

 

東京発の秋田帰省旅が「灰色」の旅であったと形容したが、この「下北半島ツーリング」は「薄浅葱」「淡朽葉」といったところだと思う。

しっかりエモい旅だ!(笑)

 

(近日中にリンクがこの下に追加されるはずなので、ご期待ください!)

 

 

...8月はまだ、終わらない。

下北半島ツーリング」を終えて、ENDOはすぐに神戸へと帰ってしまったが、あそこへ行かなきゃ僕の夏にはサヨナラできない。

 

心の故郷、男鹿半島

幼少期から数多くの思い出を重ねてきたこの場所は、秋田に帰省したら必ず訪れる場所だ。希死念慮、ほどの物ではないが、寒風山や入道崎で空や海を見ていると、「今ここで命が途絶えても良いや」なんて感情すら覚えてしまう。陳腐だけど、実際にその感情を毎回呼び起こす場所って、そう無いよね。男鹿への帰巣本能でも備わっているのでは、と思う毎日だ。

男鹿への愛をぶつける記事も、いずれ公開したい!

 

 

 

9月 越美山地攻略

 

越美山地攻略Ⅰ

①岐阜→福井(油坂峠・伊勢峠)(204.3km 1,220m↑)

②福井→岐阜(温見峠)(128.9km 1,492m↑)

 

越美山地攻略Ⅱ

①岐阜→福井(新道野越)(192.5km  997m↑)

②福井→岐阜(冠山峠)(???)

 

岐阜へと戻り、9月に入ると「越美山地攻略」と題し、近場の未踏エリア開拓に力を入れた。

夏休み返上で教育実習に赴く必要があったため、一泊2日の旅を2度に分けて実施。

岐阜・福井(+滋賀)県境に跨る油坂峠、伊勢峠、温見峠栃ノ木峠といった名道へアタック。

 

この旅のハイライトといったら、何と言ってもコレ。

こちら、ちょっと地理関係の趣味を齧っている人なら誰もが知っているであろう、日本三大酷道温見峠」のピーク(標高1,050m)での一枚。

温見峠

違和感、感じ取れましたか...?写真左半分にご注目。

いや、一目見りゃわかるか。(笑)

 

因みに、この日はガッツリ雨天ライド!

これからダウンヒル。携帯は勿論、圏外。日没までは残り2時間

さあ、事の顛末はどうなったことやら。

ネタには事欠きません👍

 

 

10月 教育実習が逆に作用

9月に引き続き、1週間の教育実習(2年次は短い)が課された10月。

それも逆に良いスパイスになっていたのだと思う。空いた時間を大切に、週末には必ずロングライドを実施する週単位のルーティンを確立することが出来た。

 

10月の主なライド

・自走ビワイチ(283.8km  768m↑)

飛騨市到達(310.1km  2,519m↑)

岐阜県内全42市町村制覇(東白川村到達)(175.6km 1,015m↑)

滋賀県全19市町制覇(日野町・竜王町到達)(220.1km 1,239m↑)

 

 

前回の記事で触れた、岐阜県内42市町村制覇」滋賀県内19市町制覇」のゴールテープを切ったのも、この月。

岐阜県内全42市町村制覇、最後の市町村は飛騨市でも白川村でもなく、ツチノコで有名な「東白川村」。村内には鉄道など当然通っておらず、国道も3ケタ国道のR256、1本だけ!)

月間走行距離は最終的に、当時の最長記録1,650kmに届いた。

 

この時期になると、どのセグメントをアタックしてみても、TOP10入りが堅くなってきた。

ロングライドでもやたらとネットAv.に執着して、前述の自走ビワイチ(284km, 900m↑)もAv.31km/hタイムアタックしてみたり。

手前味噌ではあるが、恐らくFTPテストをしていたら4.5w/kgくらい出せていたんじゃないかな。

 

しかし、自分でもこの調子をずっと維持できるとは思っていなかかったし、このまま冬を迎えては次にいつこの状態を取り戻せるか、不安の一心だった。

 

だからこそ、やるなら今しかないと決起。

 

 

11月 EVERETING ROAM

 

(464.2km 10,073m↑)

前回の記事でも触れた、EVERESTING ROAM

岐阜県内初、日本人21人目の達成となった裏には、あまりにも多くの人の支えがあった。本当に笑っちゃうくらい。

どれだけの数の応援があったかというと、実際の走行時間(車輪が動いていた時間)が20時間で、休憩時間が15時間だったというデータが端的にその異様さを表せていると思う。

TwitterやSTRAVAの力もあり、初めましての方も含め、色んな人が僕に会いに来てくれるもんで、1本上る度に休憩、なんて時間もあったくらいだ。手ブラで挑戦しても全く問題なかったくらいの差し入れまで頂いた。

人生で一度あるか無いかのモテ期は、人生で一番他人を想う、優しい心を僕にくれた。

この時ばかりは、博愛主義者の聖人君子になれていたよ。

どんなお願いをされたって聞けたと思う。

人がまばらになってきた夜間に駆けつけてくれた部活の同期たちに対しては、この挑戦が終わったら、コイツらのために全身全霊をもって部活を盛り上げてやるぞ、と心の中で固く誓ったくらいだった。

 

今でも、あの時の恩義に報いることが出来ているのかと、常に自らの生き方を顧みるキッカケになっている、一世一代の挑戦。

 

必ず記事にします。

 

 

 

12月 ラストライド浜松

 

(175.2km  632m↑)

新調したばかりのサドルをいきなり投入しちゃったこともあり、僕のオケツはEVERESTING ROAMで見事に崩壊。

サドル接触部は内出血で腫れ上がり、タンコブのようなものが出来てしまった。(ぐろい)

オマケに、終盤ではペダリングがめちゃくちゃになってしまっていたことで、膝裏の靭帯やアキレス腱の炎症を引き起こし、ドクターストップを食らった。

 

このまま1年を終えても、目標の「年間走行距離10,000km突破」は既に達成していたため、後悔はなかったと思う。

それでも、目標云々の話ではなく、自分の「倒れるときは前のめりが良い」という持論に基づき、有終の美を飾るべく浜松へ。頭の後ろで手を組んで、終わりを受け入れるようなことはしたくない。(良いこと言った。)

 

しかし、季節は12月。濃尾平野のドン詰まり・岐阜市に住む僕にとって行ける場所は限られていた。北は論外で、西も関ヶ原を超えると雪景色。そうして選択肢を削っていくと、あることを思い出した。

 

そういえば、2021年の初陣は静岡・山梨遠征だったな。

静岡で始まり、静岡で終わる。

 

一年の終わりは静岡が良い!

 

そんなワケで、蒲郡・西浦温泉経由で浜松へと赴くのだった。

 

 

12月 2021冬18きっぷ秋田帰省旅

 

毎年恒例、冬季の18きっぷ帰省。浜松行きの翌日に実施。

終電で浜松から岐阜へと戻り、荷造りをして始発で出発。(きつかった)

 

①岐阜→高崎(東海道本線~高崎線

②高崎→酒田(上越線~上越新幹線~上越線~信越本線~羽越線

③酒田→秋田(リムジンタクシー)

 

毎年恒例とはいえ、この冬季18きっぷ帰省は大抵トラブルの連続である。

上に簡単に行程を示したが、鉄道ファンの皆さんにもお楽しみ頂けるような、非常に濃い、波乱に満ちた旅となった。新幹線やリムジンタクシーに乗車し、岐阜から秋田まで移動。交通費はあくまで18きっぷ3回分、計7,230円だけ。

これもいつか記事に出来たらいいな。

 

 

 

おわりに

こんな感じで、波乱万丈に富んだ2021年は過ぎていった。

本当にエネルギー消費の大きい一年だった。

またこの先の人生で、ここまでの執念と情熱に燃えることが可能なのかどうか、今はちょっと自信に欠く回答しかできない。

だからこそ、この貴重な思い出の数々を、詳細に記録しておきたいのです。

独りよがりな備忘録的側面が強くなるかもしれないが、そこはご容赦!(笑)

次回、2022年の総括をした後は、各トピックひとつひとつに焦点を当て、詳細に深堀りしていこうと思う。

トップバッターは、書き貯めてある「下北半島ツーリング」あたりで。

 

よかったら見てね。

 

 

 

【2021年総括】執念の2021年(1)

はじめに

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今回は、昨年と同様に一年の総まとめを行っていこうと思います。

次回以降、時系列関係なく、いくつかの旅に焦点を当てて個別の記事にしていこうと思う(随時リンクも追加予定)ので、インデックス的な当ブログの羅針盤にできたら良いな。それでは行ってみよう。

 

2021年。

大学2年生として過ごしたこの一年を振り返ってみて、端的にその日々を一つの熟語で形容するのであれば、「激動」の2020年に続き、2021年は「執念」と総括しよう。

 

(「激動」の2020年シーズンはこちらの記事を!)

ameblo.jp

 

その所以たるは...。

 

さあ、今回の記事では、2021年シーズンに達成したあらゆる功績()について簡単に見ていこう!

 

今回は、2021年を「執念」の一年であったと総括する、その直接的な所以たり得る5つの功績(自分で言ってて恥ずかしい)について簡単にまとめるよ。2021年シーズン、僕のカードはこれだ!

 

 

年間走行距離10,000km達成

2021年1月1日から同12月31日までの年間走行距離はズバリ、11,002km。獲得標高82,123mと合わせて、自分としては文句なしのキャリアハイの結果を残すことが出来た。年間走行距離10,000km達成は長年の夢であったが、いざ挑戦してみると、常に自転車が生活の中心にあり、暇があれば自転車に乗らなければ、と体を動かさなければいけない状態にあった。(ブログ更新が滞っていた言い訳にさせてもらう!笑)

 

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週ごとの走行距離の推移

上の画像でわかるように、決して平坦な道なんかじゃ無かった。全国各地を駆け巡り(この旅の部分については次回詳しくまとめるよ。)、いろんな未体験に挑戦したことで、やはり波のある一年にはなってしまった。

 

それでも。

南極までの14,000kmを超えることは叶わずとも、遂に長年の夢であった10,000kmの壁を越え「宇宙よりも遠い場所」へ来たぞ!と、ずっと言いたかった台詞も、自転車人生7年目にしてようやく声高に叫ぶことが叶ったのです。エネルギー消費の大きい1年だったな。

 

因みに、2020年度における「自家用車」の年間走行距離の平均は6,017kmらしい。*1

実際にはもうちょい多い気もするけれど、改めて2021年のエネルギー消費の大きさを理解してもらえるかな。もはや体格なんて関係ない。2021年、大学内で最もカロリー消費の大きい生活を送った人ランキングのトップ3に入る自信があるよ。笑

 

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何故「宇宙よりも遠い場所」に固執するかって...?そりゃあ...(2018/3/7 秋田・にかほ市)

 

シーズン中、二度の大きな怪我を乗り越え、目標を達成

ただ年間走行距離10,000kmの壁を打ち破っただけであれば、「執念」以外にも他に似合う言葉があったと思う。やはり、二度の大きな怪我に見舞われたというスパイスがあってこその「執念の2021年」なのだ。

 

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2021/2/26

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2021/6/26

2月26日と、6月26日。

二つの26、四か月おきに僕の身に降りかかった悲劇。それが二度の大きな怪我であった。

 

2月26日、僕は2021年シーズンの開幕戦と意気込んで「ソロ静岡・山梨遠征」という旅に出ていた。(詳細は次回の記事内にて)

行程3日目のこの日、静岡県は沼津を発った僕が目指すのは、富士山一周。

富士五湖を巡りながら富士山をグルっと回り、170km程度のロングライドになるハズだった...

海抜20m程度の沼津を出ると、裾野、御殿場、篭坂峠...と40kmにわたってただひたすらに登りが続く。

富士山のすぐそばを走っているのに、そのご尊顔は厚い雲によって拝めない状態であった。暗い空模様を憂う。静岡・山梨県境の標高1,104m、籠坂峠では雪が降っていた。足先がズブ濡れになってしまったこの峠のダウンヒルから既に厭戦気分に陥ってしまっていたというか、何か嫌な予感がしていた、というのはホントの話。

山梨県に入り、富士五湖の一つ、山中湖を過ぎた直後に事故は起きた。

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事故概況

僕から見て、進行方向左手にあるGSに入ろうとしている対向車線の商用車のバンが、僕に気づかず突っ込んできたのだ。僕はこの時、青信号とはいえ、悪天候による遅れから先を急がなければ、との焦りから下ハンを握って40km/hほどのスピードでカーブへ進入していった。僕にも反省の余地あり、だ。

結局、咄嗟に回避行動に入り、衝突まであと数センチというところでバンのボンネットを避けることに成功するが、下ハンでギュンと旋回したため、体勢を崩しそのままアスファルト上へ叩き込まれ、右半身を一面強打してしまった。

 

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2017/5/4。高級ヘルメット・GIROのAEONをお陀仏にしてしまった。

落車は過去にも経験しており、画像の通りヘルメットの必需性を痛感したことはあったが、この時の衝撃を「ズザザザザ、ガンッ」といった擬音で表現可能であるとすると、今回は「ギュンッ、ガツンッ!」といった具合であった。(笑)

なんだかんだ人生で初の経験だったかもしれない。文字通り、思い切り頭を地面に強打させてしまったのだった。

気の動転は言わずもがな、ヘルメットのおかげで直接的な外傷は防げようと、衝撃は僕の頭の芯にまで届き、漫画でよく見る視界に星がチラつくアレが起きる。少しの間ではあったが、記憶も飛んでしまっていた。そのまま会話もおぼつかない僕の様子を案じた商用バンの運転手が、荷台にFENIXを載せて富士吉田市内の脳神経外科(総合病院は閉まっていた)へと搬送してくれた。

...その後の出来事に関しては、これ以上言うと「ソロ静岡・山梨遠征」の記事におけるネタが枯渇してしまうので、割愛させていただく!笑

 

幸い、今ではこうして話のネタに変えてブログ執筆が出来ているように、頭に異常は見られなかった訳だ。漫画「メジャー」においては、主人公・本田吾郎の父親、本田茂治がとあるメジャーリーガーから頭部に158km/hの死球を受け、直後は平然としていたものの、その翌日に頭蓋内出血によって命を落としてしまうというショッキングなシーンがあった。これと同様の流れに恐怖し、思わず遺書でも用意しておこうか、なんて考えも頭を過ったが、数日間安静にしていたら、なんてことはなかった。ただ、頭以外にも右半身を強打してしまったため、右肩が上がらず、暫く左手での食事を余儀なくされたりと、生活への影響は大きかった。自転車も、春休み真っ只中というのに、約三週間に及ぶ自粛を強いられてしまったのだ。この損失は大きい。本当に、事故や落車には気を付けなければと、ここで勉強していたハズだったのだが...

 

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オヨメに行けないレベルの消えない傷として残ってしまった。

うん。悲劇はこれだけでは終わらない。

山中湖での事故から丁度4か月後、少しオカルト的なアレコレも考えてしまうよね、まさかの同日26日の出来事であった。

自転車部副部長のおぎのクンとのサシで、40kmほどの朝練を終えたのちの帰路、自身がKOMを持つセグメントの更なる記録更新を狙い、カーブに40km/hほどでアタック。思いっきりハンドルを切った際、ダンプが落としていったと思われる砂にタイヤを滑らせ、次の瞬間、右のペダルが地面に接触。ディレーラー側からアスファルトに投げ出されてしまう。綺麗にズザザザーッとアスファルト上を滑って行った僕の右半身は、それはもう直視に堪えないアリサマ。

2月の落車は、交通事故での王道パターン、ズキズキと痛む全身打撲の症状に苦しめられたのに対し、この6月の落車は、布の面積の少ない(何か卑猥だな)半袖ジャージで生身をアスファルト上に擦りつけてしまったことで、擦傷による出血量の多さで2月の落車にタイマンを張ってきた。落車の影響力なんかで勝負しねくて良いべさ....

しかもだ。

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もはやどんな状況か、すぐには掴めない写真だよね。

山中湖の事故は、受け身になっていない受け身で右半身と大型サドルバック(これが本当に仕事してくれた)が最初に接触して機材への影響は殆ど無かったんだ。

しかし、今回は全く訳が違った。

リアディレーラー、ディレーラーハンガー、ペダルがお陀仏。そして馬鹿なことにバーテープを巻いていなかったハンドル、クランク、フレーム、新調したばかりのホイールに痛々しい傷を加えたのだった。

そのまま駆け込んだ大学病院の初診(それも休日)の診療・処置費用と合わせて、4万円ほど(傷が入っただけのものはカウントせず)の損失を出した。痛いよ...

そして、只でさえ品薄が嘆かれていたシマノ製品の破損によって、この先約一か月にわたりFENIXに乗れないという絶望的な状況に置かれてしまうのだった。おぎのクンからママチャリを貸して貰ったことで、生活への影響は小さいものであった(FENIXだけを生活の脚として二年間過ごしてきた)が、自転車に乗れない現実が突き付けられたことによる精神状態への影響、それはもう大きなものだった。

 

...さて、仮にこれらの怪我が無ければ、もっと簡単に10,000kmに手が届いていたと思うし、あと2,000kmほどは記録を伸ばすことができたんじゃないかと、正直に本音を話せば悔しく思わない訳でもない。

 

しかし、やはりストーリー性があった方が面白いよ。

ずっとユーストレス欠乏状態で、何事もなく、楽に年間走行距離10,000kmを達成するよりだったら、約2か月というブランクを埋めるために奮起する、そしてその先で掴む大逆転劇!なんてストーリーを、他ならぬ自分の手で創り上げられた方がずっと良い。

こうして話のネタにすることが出きる訳だし、何より自分自身が平坦な道よりも、起伏に富んだ道の方が好きだから。紀伊半島に伊豆...また行きたいな...)

目標の為に、何度だって困難を乗り越えてみせる。紛れもなく、「執念」に燃えた一年だったのだ。

 

日本人21人目&岐阜県内初の【EVERESTING ROAM】達成

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大学の友人や後輩・先輩、初対面のサイクリストの方々に至るまで、本当に多くの方々に応援に駆けつけて頂いた。

これは前回の記事でも少し触れました。

11月13日から14日にかけて、実に34時間56分にわたる死闘を制し、日本人21人目&岐阜県内初の「EVERESTING ROAM」達成を成し遂げたのです。

これぞ、「執念の2021年」を象徴する挑戦であった。

もともと大学三年次に挑戦することを予定していたが、夏頃から岐阜県内でも挑戦者の姿をSNS上で見かけるようになったほか、10月には同郷・秋田の同学年サイクリストTackがシングルエベレスティングを達成していたのだった。(最ッ高に輝いて見えたぜ。)

そうした外部からの刺激の他、最も大きな決定打となったのが、10月における月間走行距離が、過去最長の1,645kmに膨らみ、コンディションの調整が上手くいっていたことである。

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自信満々な自撮りを撮っちゃっているように、この時期は坂を登れば高確率でKOMを取っちゃうという仕上がり具合だった。

上の画像に示した7つのKOM(King Of Mountainの略、過去に同じ区間を走行したサイクリストの中で歴代最速タイムを記録した際に与えられる称号)は、いずれもこの10月、一か月のうちに獲得したものである。こうしてまとめるために見返していても、自分でもちょっと二ヤついてしまったよ。

僕はまだパワーメーターを導入していないので、ワット値はSTRAVAによる推定値に過ぎないが、それでも12分間にわたって350W以上の高出力を出せたことは、ブログ執筆時の今では考えられない仕上がり具合だ。12分間、平均心拍数187bpmの最大強度ゾーン5を維持している点も、よほど健康的だったんだなと。

 

昨年も、同時期に力試しで日帰り422.5kmの大型ライドを一年の総括として実行していた。執念の2021年の締め括りとして、これ以上の絶好のタイミングがあるだろうかと自分に問いかけたとき、既に身体はコース選定へと動いていた。

 

こうして身体の調整が上手く行えていたこともあり、正直フィジカル的な苦痛は思ったよりも感じなかったんだ。

しかし、当初より覚悟していたことではあったが、この挑戦は何よりもメンタル面での持久力の勝負となる。

 

簡単に「EVERESTING ROAM」について解説しよう。

もともと、

  • 同じ坂を何往復も走ることで、世界最高峰エベレストの標高と同じ獲得標高8,848mを稼ぐ。

  • 時間制限は無いが、途中での仮眠は認められない。

といったルールの「EVERESTING」(ROAM等との区別の為、「シングルエベレスティング」という呼称が用いられることが多い)というチャレンジが存在する。これだけでもおいでよマゾ豚のみんな!と言わんばかりの、変態的な所業にしか思えないが、「EVERESTING ROAM」とは、言わばこの「EVERESTING」の強化版である。(変態度を強化してどうする)

世界でも一握りの、厳選された変態紳士精鋭部隊のみが挑戦する。我こそが世界に誇る変態紳士の頂点だ!と豪語したい者のみ食いつくエサであるのだ。以下が「EVERESTING ROAM」のルールである。

  • 「EVERESTING」よりも更にハードな獲得標高10,000m分、坂を登る。(垂直距離)

  • 水平距離として400km以上走行する。

  • 36時間以内の時間制限あり。(仮眠は可)

  • 「EVERESTING」とは異なり、一つの坂のみならず峠のハシゴも可。

これを達成することで、オーストラリアの「HELLS500」という認定協会より「Hall of Fame(殿堂入り)」サイクリストの称号が与えられる。

 

...こうして文字に起こして再び向き合ってみると、「もう二度とやるものか」の一言しか浮かんでこない。「EVERESTING」とは異なり、「ROAM」の本来の意味(徘徊)のように、ブルべの感覚で複数の峠をハシゴしたり、仮眠をとることが許可されていることが特徴であるが、逆にそれを実現可能なルートを引くことが、まず極端に難しい。

そういう訳で、僕は1回あたり水平距離約2km、垂直距離約96mの坂を、不眠で実に105往復することによって達成した。

気が狂うってもんじゃない。百歩譲って、不眠で35時間走り続けることはまだ問題無いとしよう。しかし、それが景色が変化しない、同じ坂道であるとしたら...???

同じ場所(それも登り坂)をひたすらグルグル。

何の刑罰...???刑罰でなければ、僕はハムスターか!()

 

ただひたすらに、己との闘い。

心の中に潜む弱い自分を押し潰しながら、否、そもそもそんな物の存在を認知すらしないように、ただ無心で。

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2021/11/14 19:43、あの瞬間目にした大津谷公園からの夜景は、小学校の時に見た函館の100万ドルの夜景にだって劣らない、とても心に響く美しいものだった。

 

こんなバカげた挑戦を、達成へと導いてくれたのは、他でもない、周囲の人々の応援であった。

いやね、本当に一人だったら達成できなかったのです。精神が持たない。これだけは間違いねえ。

先に述べたように、当日は大学の友人に、後輩・先輩から、SNS上で僕の挑戦を知った初対面のサイクリストの方々まで、20人ほどの仲間が僕の応援の為だけに駆けつけてくれたのです。深夜、一番ツラい時間帯に駆けつけてくれた仲間、日中と夜勤前・夜勤明け三回にわたって差し入れを持って来てくださった方、朝から僕が挑戦を終えるその瞬間まで、ずっと待っていてくれた方すらいた...(すべて実話)

 

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僕が自分で持って行った補給食だけでもこれほどの量。

差し入れだって沢山いただきました。本当に申し訳ないレベルで。

この35時間の挑戦では、基礎代謝を除いても推定値で1万kcalと、とんでもない量のカロリーを消費した。それは事前に予測していたことだったから、徹底したカーボローディングを行ったうえで、当日はUber Eatsのバッグに補給食を詰めに詰めて(その重量、なんと11kg!笑)現地まで運んで行ったのだが...帰りにはなんと12kgに逆に増える始末。笑

しかも、帰りは前述した、朝から僕の挑戦が終わるその瞬間までずっと待ち続けていてくれた大人のサイクリストの方が、家まで車で送ってくださったという...泣

 

SNS上での励ましだってそうです。応援してくださったす全ての方のおかげで、僕は執念を発揮でき、「執念の2021年」の締めくくりに相応しい最高のフィナーレを飾ることができたのだ。

 

自分自身も、間違いなく人生で一番人に優しくなれた35時間だった。(CLANNAD AFTER STORY完走後すら凌駕...!?)

 

改めて、このEVERESTING ROAMの挑戦を、「執念の2021年」を、支えてくださった全ての方に感謝を申し上げたいです。ありがとうございました。

 

 

岐阜県内全42市町村制覇

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岐阜県内全42市町村。最終決戦の地は東白川村であった。

10月、岐阜に来てから1年半もかかってしまったものの、ようやく岐阜県内全42市町村制覇を成し遂げました。全42市町村。多すぎだろ!難易度高すぎィ!!!

 

岐阜県秋田県よりも面積は小さいのに、人口は2倍ですからね...そりゃこうなっちまう。岐阜市なんて、周辺市町村巻き込めば余裕で政令市の要件を満たすことが出きるんだ。静岡市浜松市よりも小さな面積で。 早く合併しろ!笑

 

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岐阜県内における自転車走行箇所のヒートマップ(2022/3/16現在)

僕ね、地理学好きとして、岐阜の大学の受験を決めた際に、「まぷすた!」という市町村パズルのアプリを使って、この全42市町村の名前と場所を暗記しておいたのです。ムフン。

 

さーて問題だ!七宗町」「神戸町」「坂祝町」「各務原市...さあ、読めますかい!?

 

しちそうちょうでも、こうべちょうでもない。

「ひちそうちょう」「ごうどちょう」「さかほぎちょう」「かかみがはらし」ですよ。

初見殺しが過ぎるよね。大丈夫、早く岐阜に順応するぞと意気込んで岐阜に来る前から勉強していたとはいえ、コレ岐阜出身の友人らに聞いても普通に分かっていないヤツたくさんいる。(笑)

地理学において、現地調査(フィールドワーク)が最重要視される所以はまさしくここにある。百聞は一見に如かず、とは本当に言い得て妙であり、実際に自分の力で訪問すると、地誌の理解が全く違う。

前回の記事においては、このブログで「自転車乗りならではの感性」を巧く言語化してお伝え出来たら、なんてことも言ったが、やはり道の起伏に高低差に、凹凸に至るまで身をもって体感することのできる自転車趣味は強いよ。さあみんなも自転車に乗ろう!笑

 

滋賀県内全19市町制覇

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滋賀も全19市町(村は無い)、制覇したよ。
10月31日に東白川村を訪れて、岐阜県内全42市町村を制覇した翌週、11月6日。

日野町と竜王町に足を踏み入れることで成し遂げた快挙。

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滋賀県内における自転車走行箇所のヒートマップ(2022/3/16現在)

よく考えてみれば、11月6日はEVERESTING ROAM挑戦の一週間前だったわけで...

最後に訪れたのが竜王町でよかった。

竜王」。将棋の世界でも名人位と並んで別格とされているタイトルだ。まず名前が中二心をくすぐる。カッコよすぎる。

僕は大学ではよく同じ学科の友人たちから「部長」呼びをされることが多いのだが、どうだろう読者の皆さん、ここはひとつ、僕を竜王と呼んでくれてもええんやで!?!?(呼ばねーよ)

 

 

 

さあ、いかがだったでしょうか。

2021年という一年が、僕にとって「執念」の一年であったということを、何となくイメージしてもらえることができたかな。

「激動」の2020年、「執念」の2021年と来て、今年はどんな一年になるのだろう。

今年の話をする前に、もう少しだけ、2021年の振り返りにお付き合いください。次回は、全国を駆け巡った自転車旅の面に焦点を当てていくよ。

2021年は、本州最北端・大間崎から、本州最南端・潮岬まで本当に多くの場所を訪れた。それだけ皆さんに見ていただきたい写真やエピソードというものも、溜まりに溜まっているのです。

 

それでは次回もよろしくお願いします。

 

 

 

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*1:ソニー損保「2020年 全国カーライフ実態調査」より

https://from.sonysonpo.co.jp/topics/pr/2020/12/20201214_01.html

【Introduction】

 

 

はじめに

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海岸沿いの田舎道を追い風に乗って走っていると、突如として周りの音がフッと消える瞬間がある。

聴覚を支配するのは、波の音と、自身の駆る自転車の走行音と、それらに高揚する自分の息遣いだけ。世界から自分以外の生命存在が、全て消え去る。

 

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どうだろう。

僕と同じ自転車乗りのあなたなら、きっと「そんなのあたりまえじゃん」と思うかも。

しかし、自転車はあまり知らないよ、という人はどうでしょう。

 

 

気温逓減率0.55℃/100mの感覚。

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標高が上がるにつれ変化する植生。

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冬至を過ぎ、一日一日と数分単位で伸びていく落日も、高さを増していく南中高度もそう。

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4,000mを超えるような長ーいトンネルでは平衡感覚を失う恐れがあるってことも、羊羹とコーラは偉大ってことだって、そうに違いない。

 

自転車に乗っていなければ、出会えなかった景色がある。

自転車に乗っていなければ、知らなかった、感じ取れなかった世界があるのです。

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僕、しゅえっと(プロフィールは後述)は、中学2年の2015年より、「地元秋田の魅力を発信していきたい!」との思いでア〇ーバブログにてブログ記事の執筆をスタートさせた。

ameblo.jp

今回、主な発信の場をこのはてなブログに移転させるにあたっては、上で述べてきたような、中学2年から始まった自転車人生で磨いてきた「自転車乗りならではの感性」を言語化しながら、全国を巡る自身の旅の様子から「自転車旅の魅力」をお伝えしていきたいと思う。

旅とは何か、という自身の永遠のテーマに、明確な一つの解を導き出すキッカケとなり得るものとしても期待したい。

 

"1/3 BLUE" とは

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当ブログのタイトル「1/3 BLUE」(読みは「ワンサードブルー」)の由来に、僕の敬愛する一人の詩人の歌がある。

「白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」若山牧水

旅と酒に生きた国民的歌人若山牧水の詠んだ歌だ。有名な歌であるから、一度は目にしたことがあるという人も多いはず。

 

この「白鳥」を、僕はいつも自分に重ねている。

冒頭で述べたように、自転車に乗っていると、時としてこの世界に自分一人しか居らず、世界を支配しちゃってるような、自分を中心に世界が回っているかのような錯覚に陥ることがある。

 

自転車乗りは、きっと誰だってそうであるハズ。サドルの上では、ほかの誰でもなく、僕自身が一つの物語の主人公になれるのです。(自転車趣味と中二病は永遠に切り離せません。by 万年永年中二病

 

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牧水の歌においては、一羽の白鳥(鴎ちゃんだと解釈してます)が、無窮の空と海に挟まれ、穏やかな潮風に揺られながら静かに漂っている情景を思い浮かべることができるが、牧水自身も「哀しからずや」と憐憫の情をかけているように、その「白鳥」はたびたび「孤独」な存在の象徴として捉えられることが多い。

 

しかし、僕はこの歌をはじめて目にした時、決して悲しい歌であるとは思わなかった。その白鳥はなんと美しいのかと、なんと高潔で勇壮な存在であるのかと、激しく胸を打たれたのだ。

 

「孤独」と「孤高」は違う。

白鳥は、群れを離れて一羽だけで漂っていたことは事実だろう、しかし、比翼の鳥でなくとも、無窮の空と海に挟まれた、このあまりに宏闊な情景の中で、その二色に染まらぬ大きな存在感を放っている。

空と海、二つのBLUEに、たった一羽の白鳥が加わることで初めて、このあまりに美しい世界が完成しているのだ。

 

自転車を自らの脚で駆り、旅を続けて大自然の中へ飛び込んでいくことで、僕自身も海と青、二つのBLUEに挟まれながら、そのどちらの色にも染まらず肩を並べてみせる。いや、寧ろ凌駕しちゃうほどの大きな存在感を放つ「第三のBLUE」になりたい!なったる!との思いを乗せて、果てない旅路へ。

 

それが、ブログタイトル「1/3 BLUE」に込めた一種の決意だ。

 

空と海、そして「孤高」な白鳥に、強く憧れています。 

 

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自己紹介

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右:しゅえっと(20)。秋田県代表選手なまはげさんと。秋田に帰省すると必ず撮っちゃう。

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高校時代に中古で購入したPENTAX K-S2をよく旅に携帯。

遅ればせながら、軽く自己紹介をさせてください。

しゅえっと

2001年8月16日生(2023/7/8現在 21歳)

秋田出身。現在は岐阜で地理学を学んでいる大学4年生。地理学を学びたいと思ったのも、岐阜を選んだのも、全ては自転車趣味に端を発する。

中学2年で自転車旅を始め、大学2年次に自転車部を立ち上げ、部長に就任。2021年、国内21人目の「EVERESTING ROAM」達成者に。

身長174cm、体重64~70kg。上の写真の通り、短足であることがコンプレックス。180cm以上ある親父よりも座高が高い。

シロフクロウと猫が好き。総視聴作品数320本ほどの重度のアニオタ。嫁は「Summer Pockets」の久島鴎。

小6の頃からギターも趣味としている。歌はヒドイ。

 

しゅえっと(分身)

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2018/8/9 石川県珠洲市にて。

旅の相棒にして、僕の分身。2歳頃からずっと一緒。

僕のユーザーネームである「しゅえっと」はこのシロフクロウのぬいぐるみから来ている。(「シロフクロウ(名詞)」や「素敵(形容詞)」を表すフランス語の単語「chouette」より)

もともとソロライドが多かったが、一人では自分が旅先の風景に溶け込む写真を残せない。(当時は自撮りと言う術を持っていなかった)確かに自分がこの地に来たのだ、という証拠を残すため、自分の分身として旅に持ち出すようになった。日本一、旅するシロフクロウを目指す。

 

愛車紹介

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現在、ホイールはCampangolo Shamal Milleに変更。

2020年7月7日~「RIDLEY FENIX SL」

2代目の愛車。不死鳥。バラ完して自分で組みました。

僕は旅をメインに据えつつも、競技だってブルべ的なことだって、尽きない好奇心に従順なままに、何でも挑戦したいワガママ男。

そんな要望に応えてくれるのがコイツ。もともと、石畳の上を走るレースを想定して作られたバイクであるから、しなやかで快適な走行性能を誇る。それでいて踏めばグングンと進んでくれる。今流行りのエアロフレームではなく細身なので登りだって楽チンな上、写真の通りパッキングの自由度が高い。

 

コイツに関するスペック等の詳細は、過去のこちらの記事をご参照くださいな。

ameblo.jp

 

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2019/7/20 秋田県由利本荘市にて。

2015年6月6日~「MERIDA SCULTURA400」

中学2年から東北地方各地を旅した相棒。アルミフレームながら「SCULTURA(イタリア語で「彫刻」)」の名を冠するに相応しい造形美を持つ。また、Shimano 105を搭載しながら、価格は10万円台前半と当時圧倒的なコスパの高さを誇っていたことが購入の決め手。高1からはヒルクライムレース参戦に際し、ホイールをCampagnolo ZONDAに変更。現在は実家の小屋でお休み中。

 

経歴

以下の内容は多少自分語りが過ぎる小恥ずかしいものですので、お時間のある方だけご覧になってください(笑) 

これまで歩んできた人生はまだまだ短いものの、その波乱万丈さはよく酒の席で友人らに笑って貰えることの多い内容。伊豆半島並みにアップダウンに富んだ人生を送ってきたのです()

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今後の目標

 

<大学在学中の目標>

・全国47都道府県すべてを自転車で走行

・競技大会で優勝

・EVERESTING ROAM達成 ✔(2021/11/14)

・大阪-東京キャノンボール達成

 

2022年7月 現在の自転車走行ヒートマップ(2015/6/6~)



まずは最大の目標として、一生をかけて全国1741市区町村を自転車で制覇する、というものがある。無謀かもしれないが、最後まで夢は希求し続けたい。

2022年7月現在、489/1741市区町村(33.8%)達成。

目標達成へ向けた初期段階として、大学在学中に全国47都道府県全てを一度は走るということを目標にします!(2022現在、45都府県を走破)

 

 

また、スマートな旅をするためには、速く走ることも重要になる。

そのため、競技大会での優勝も一つの目標としたい。これまでの最高成績は、15歳の時に出場した「矢島カップ Mt.鳥海バイシクルクラシック」15~20歳部門での4位入賞という中途半端なものだ。再度、得意なヒルクライムで表彰台入りを目指したい。

 

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速さのみならず、持続力も重要である。

メンタル的な部分での最大目標であったEVERESTING ROAM(36時間以内に距離400km以上、獲得標高10,000m以上)は大学2年次に達成済み。

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次はフィジカル的な持続力を試す、大阪-東京キャノンボール挑戦を見据えている。

大阪-東京間の約550kmを、単独で24時間以内に走破するという、常人の思考では考えられないイカれた挑戦だ。EVERESTINGのような脳筋プレイは通用しない。休憩など存在せず、脚を休めることができるのは、信号待ち・トイレ・補給食調達の際のみで、あとは常に進み続けなければならない。進撃の変人。

タイヤが回ってる際の単純な移動速度「ネット平均速度」ではなく、信号待ち等も含めた「グロス平均速度」を常に意識しなければならないため、頭も最大限使った戦術的な思考が試される。達成出来た暁には、僕も頭脳派サイクリストだZE...!!!

 

このブログを通して、皆さんに良い報告ができるよう、日々研鑽を積んでいく所存です。

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 

さあ、旅の始まりです!!!

 

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(同郷・秋田出身の同級生サイクリストのブログ記事です。こちらもヨロシク!)

<ENDO氏>

UCC所属。「経歴」に記したように、小学校時代からの長い付き合い。後期合格組ということで受験にはちょっとしたコンプを抱いているみたいだが、素直に尊敬できる明晰な頭脳の持ち主であり、変人。昨シーズンからキャンプツーリングに傾倒。

 

mamebike14.hatenablog.com

ticktackbonk.hatenablog.com

<Tack氏>

UCC所属。(情報解禁はまだ...?) シングルエベレスティング(秋田県初)、秋田一周600kmライド達成者。僕が尊敬する同学年学生サイクリストの数少ない一人であり、好敵手。とんでもない速筆家。僕のブログの更新が途絶えたら彼のブログを見ていてください。

 

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